首里城の再建への道のり|火災までの歴史と、復興に向けた建築素材や工法を紹介

eTREE編集室

 沖縄の歴史と文化を象徴する首里城。2019年10月31日に発生した火災により、首里城は正殿をはじめとする主要施設が全焼しました。現在は2026年秋の完成を目指し、再建に向けた工事が進められています。実は首里城は、過去に5度の火災を経験してきました。 
 本記事では、「見せる復興」をテーマとする令和の復元工事の方針や技術のほか、首里城が歩んできた歴史も含めて解説します。

首里城とは

 首里城は、1429年に成立した琉球王国の政治や外交、文化の中心として栄えた王城です。14世紀の半ばごろに築かれたとされ、琉球王国の初代国王である尚巴志(しょうはし)が拠点にしたと伝えられています。以来、最後の国王である尚泰が1879年に明治政府に明け渡すまでの約450年間にわたって栄えました。
 首里城は、当時長い交流のあった中国の宮殿建築や、日本の社寺建築の影響を強く受け、それぞれの様式が融合した琉球独自の意匠が特徴です。

参考:首里城公園(国営沖縄記念公園 首里城地区)|内閣府

首里城の歴史

 首里城の歴史は、約450年間わたり栄えた琉球王国の歴史そのものとも言えます。次の4つの大きな流れから、首里城の歴史を紐解いていきましょう。

  • 琉球王国成立から明治政府への明け渡し
  • 戦前から沖縄戦での全焼
  • 「平成の復元」と世界遺産登録
  • 2019年の首里城火災

琉球王国成立から明治政府への明け渡し

 首里城の正確な築城年や築城主は判明していませんが、14世紀半ばから後半に建てられたとみられます。琉球王国の初代国王である尚巴志が1429年に北山・中山・南山の三山を統一し、琉球王国が成立しました。琉球王国成立以降、約450年間にわたり、首里城は「王宮」であると同時に、国王自らが政治や儀式を執り行ったり、接待の場として、中心的な役割を果たしています。
 琉球王国は1879年の廃藩置県により沖縄県となり、最後の国王である尚泰は、明治政府へと首里城を明け渡しました。

戦前から沖縄戦での全焼

 明治政府への明け渡し以降、首里城は日本軍の駐屯地や学校として使用されていました。1925年には国宝に指定され、1930年代には大規模な修繕が行われています。
 第二次世界大戦が始まったことにより、首里城もその影響を大きく受け、1945年の沖縄戦において、アメリカ軍の攻撃によって全焼しました。

「平成の復元」と世界遺産登録

 戦後、首里城跡地は琉球大学のキャンパスとなりました。大学移転後、首里城復元の構想が強まり、1986年には国営公園として復元整備することが閣議決定されました。
 「平成の復元」が始まり、沖縄本土復帰20周年にあたる1992年11月に正門や瑞泉門などが完成したことで、首里城公園の一部が開園しました。2000年には「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」の一つとして、首里城跡が世界遺産に登録されています。

2019年の首里城火災

 2019年10月31日未明、首里城は正殿内部から発生した火災によって、正殿をはじめ、北殿、南殿などの主要9施設が消失しました。火は次々と建物に燃え移り、約11時間にわたって燃え続けました。火災原因の特定には至っていません。
 首里城の火災後、「首里城火災復旧・復興支援寄付金」として2022年4月までに約55億円が寄せられました。寄付金は城郭内の施設などの復元に活用されています。

参考:2019.10.31 首里城火災|首里城公園

参考:首里城復興へのご寄付(首里城未来基金)|沖縄県

首里城復元へのあゆみ

2019年に発生した首里城の火災を受け、政府は2020年3月に「首里城正殿等の復元に向けた工程表」を決定しました。基本的に前回復元時の設計・工程を踏襲するとし、現在は2026年までの復元を目指して、取り組みが進められています。
 工程表などに基づき、今回の復元工事の大きな3つの方針について解説します。

  • 防火対策の強化
  • 材料調達の工夫
  • 復元に向けたスケジュール

防火対策の強化

 二度と火災による消失を生じさせないため、再発防止策の徹底を掲げています。火災の早期発見と初期消火の重要性を踏まえ、首里城正殿には、最先端の自動火災報知設備やスプリンクラー設備などを導入します。
 また、首里城は城郭に囲まれた特殊な地形に立地しているため、消防隊が迅速に消火活動を行えるよう、消火用の水を城郭内に送るための連結送水管設備が導入される予定です。
 このほか貯水槽の増設なども行われますが、あくまでも首里城後の地下遺構の保護が前提として設計や施工が行われています。

材料調達の工夫

 首里城正殿を構成する木材は、かつてはチャーギ(イヌマキ)とオキナワウラジロガシが使用されていたと推定されます。しかし、これらの樹種は希少材のため大量調達が難しく、前回の復元時は樹種の特性などを踏まえ、代替材としてタイワンヒノキの無垢材が使用されました。
 現在、台湾は自然保護の観点から伐採・輸出を禁止しています。そのため、今回の復元に用いる構造材(大径材)は、国産ヒノキが中心となり、一部にはイヌマキやオキナワウラジロガシも使用されています。
 このほか漆は前回の復元時同様、中国産漆が使用され、沖縄独特の赤瓦については、沖縄本島産の材料が調達される予定です。

復元に向けたスケジュール

 首里城の復元に向けたスケジュールとしては、2022年11月に正殿本体工事が着工し、2026年秋の完成に向け、着々と工事が進められています。2025年度には外部彩色、内部彩色も始まる予定です。

 今回の「令和の復元」では3つの大きな柱が掲げられています。「首里城復元」のほか、ボランティア活動や復興関連イベントを通じた「地域振興・観光振興への貢献」、そして「段階的公開」です。復元工事の過程は、安全性を確保しながら現地で一般公開されているため、復元に向けた様子をリアルタイムで知ることができます。

参考:首里城正殿復元の進捗状況と今後の予定|内閣府 沖縄総合事務局

首里城再建を支える技術

 首里城正殿の復元には、柱や梁、筋交を組み合わせて骨組みを作り、建物を支える「木造軸組工法」が用いられています。
 2023年12月には正殿頂部に棟木(屋根の天辺に取り付ける横材)の取り付けが完了し、建物の骨組が完成しました。正殿は非常に大きな木造建築のため、ヒノキの横材4本を継いで長さ約21mの棟木を構成し、柱・梁には513本、約300㎡のヒノキ材が使用されました。

 復元工事には、宮大工のほか、朱塗りを行う塗装工、瓦工、土居葺き工、石工などの匠も参加しており、各工程で技術を結集します。また、伝統技術の継承を目的に、多くの若手職人も参加しています。

首里城の現在

 首里城復元に向け、完成まで残り2年となった2024年度には、木彫刻の取り付けや屋根の瓦葺き、漆を使った塗装工事などが行われています。
2024年7月現在では、瓦葺きが始まりました。沖縄県産の材料で作られた約6万枚の赤瓦が使用されています。

 「見せる復興」がテーマである今回の復元は、現地にて復元現場の見学エリアが設けられています。また、首里城公園のホームページや清水建設コーポレートサイトでは、工事現場を撮影したVRデータも公開されており、現場の様子をより間近で見ることができます。

まとめ

 沖縄のシンボルマークとして、国内外から多くの人々が訪れる首里城。2019年の大火を経て、再び首里城を復興するため、現在も日々一歩ずつ復元工事が進んでいます。最先端の防火設備と歴史的価値の共存が大きなテーマとなる今回の工事は、復元作業の様子を間近で見学することも可能です。ぜひ一度、復元に向けた歩みを見に現地へ足を運んでみてはいかがでしょうか。

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